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Mike's Blog

これまで読んできた本を引用を含めて紹介します。 Introducing books I have read including citation http://www.arsvi.com/w/km18.htm

澤田昭夫『論文のレトリック』を読んで

 

論文のレトリック (講談社学術文庫)

論文のレトリック (講談社学術文庫)

 

 今回も論文を書く際の必読本の紹介です。以下に重要と思われる箇所を引用します。

・よい論文は統一unity、連関coherence、展開developmentにおいて優れた論文、あるいは明確性clarityにおいて優れた論文だといわれます…統一とは、主要な問、主問が論文の大黒柱ないし焦点として全体を貫いているということです。連関とは、全体がいくつかの、それぞれにまとまった部分(章とか段(パラグラフ)に区切られており、その部分が相互にスムースにつながっているということ、主問がいくつかの副次的問、副問に分かれていて、それが相互に連関しているということ。展開とは、主問、副問に対する答が論理と証拠で十分に固められ肉づけされている、必要な問が十分に問われ尽くしており、答としていわれねばならぬこおが十分いい尽くされていることです。明確性とは要するに、読者が苦労せずスラスラ読める、論旨をつかめる、すっきりしているということです。そういう状態は統一、連関、展開、とくに統一がしっかりしておれば自然に生まれてきます。明確さというのは主問、副問がはっきりしている、なにが問題かはっきりしているということです。主問がはっきりしておれば副問間のつながりもよくわかります。論文が明快だというのは、論文の肉づけ展開部分のすべては主問、副問を解く答の支えとなっており、問と直接間接に関係のない余計な筋や脂や贅肉がないということです。こうなると問と答、序と結論が、相互にアウンの呼吸で結ばれ、首尾一貫した明確、明快な論文が生まれます。(p.19-20)

・論文試験では解らない、口述試験でしか解らない知的なものとは何か。それは受験者のマイナスとプラスの知的深層能力です。つまり論文だけからは、受験者が知識、思考力、創造力において欠けているものがあるように見えるがさだかではないそのマイナスの力、そして逆に受験者が知識、思考力、創造力において所有しているらしい、あるいは所有しているかもしれないが外に表われていないプラスの力です。問答という手段によってこのようなマイナス部分を確認し、プラス部分を聞き出す、引き出すのが口述試験の独特な機能です。(p.41-42)

・試験答案を迅速に要領よくまとめるためにもっとも肝心なことをひとつあげよといわれたら、「問題の問が何か、どういう種類の問かをよく確かめ、それに答えること」と申しあげたい…論文の問の種類は原則として説明か論証かの二つ(あるいはその組合せの三つ)ですから、それを確かめ、それに応じた答をすることが肝心です。それと関連して申し上げるなら、「問が尋ねていないことには触れず、尋ねていることには十分に答える」ということです…問をたしかめ、それに十分に答えるには、問の姿、問の背景や歴史、前後関係を知ることも必要になります。十分に答えるには主問から派生してくる副問にも答えなければなりません。ひとつの主問にいくつかの答が可能なら、それらを比較考察し、もっとも合理的と思われるものを、最終的答として論証することになります。(p.51-53)

・「焦点をはっきりさせよ」、「論旨を明快に」「筋道を明らかに」。それがよい論文を書くコツだといわれますが、そのためには具体的にどうしたらよいのでしょう。答は「問題を見いだすこと、問を明らかにすること」です。論文は、問に答えるものだからです。しかし、「問題を見出すこと、問を明らかにする」とは、いわゆる問題意識をもつことではありません。問題意識をもつのは結構なことですが、それはふつう、この辺に解決されねばならぬ問題があるらしいという漠然とした感触をもつことを意味しており、それだけではよい論文は書けません。よい論文を書くための大前提「問題を見出すこと、問を明らかにすること」は、「問題意識」から「問題」へと一歩切りこんで問題を疑問文の形で提示することです。(p.58)

・現代のレトリックはふつう、語り、談話を目的によって次の四つに分けています。①説明、②論証、③描写、④物語の四つです。いわゆる論文は①、②を柱としていますが、③、④も①、②のなかに組み入れられて論文の重要な部分となります。説明expositionというのは、聴衆、読者に対して情報を与える、理解させる、明らかにすることです。「それは何であるか(あったか)」という問に答えることだといってもよいでしょう…論証argumentというのは、一定の主張が正しい、真実であることを相手に認めさせる、知的に確信させることです。「この議論、主張の推論は正しいか」という問の答だといえましょう…描写descriptionというのは、もの、人物、状況、場所、行動を読者、聴衆の想像に訴えて追体験、共体験させるように迫真的に再現することです。「どんな印象、イメージ、連想を生み出すか」、という問に答える活動だといえましょう…同様なことが物語narrativeにもいえます。「それがいかなる変化をとげたか」、「何が起こったか」という問に答えて、人、制度、思想、状況、政策その他あるゆるものがどういうふうに変化したか、その変化過程、初めから終りにかけての経過を臨場感をもって語るのが物語です。(p.66-70)

・論文書きでもっとも大切なのは、問を疑問文の形で切り出すことで、それがレトリックでいう発見・構想です。もっとも大切だというのは、それができれば、つまり全体を貫く主な問は何であるかを確定することができれば、論文の首尾一貫性、統一性を保証する基本条件が整ったことになるからです…ですから、序とはまず、問が何であるか、問の姿や争点status questionis = state of the questionを紹介する場所です。大きい論文ならば問題の研究史を説明する、小論文なら問が出てきたきっかけに触れるところです。序がつぎに、論文が扱う大小の問とそれを扱う順序つまり仕事の手順を紹介します。大小の問題とは、主問とそこから派生してくる多くの副問ということです…結論は第一に、本論の主要点をクローズ・アップして本論とは別のことばで要約(英語でrecapitulate)し、それによって序で提示した問に答えることです。結論は第二に、論文がもつ、より大きい問題との関連を指摘する場です…結論は第三に、これから必要になる研究方向、研究テーマについてのヒントを述べるところです。しかし結論で絶対に避けるべきは、本論では全く扱わなかった新しい問についての議論を始めることです。結論は本論の最終章に続く新しい章ではありません。結論で何よりも大切なのは、第一にあげた、序の問に答えるということです。さて、論文の本論自体はどう構成、展開したらよいか。それは問の姿と論文の種類できまります。「それは何か」という問に答える説明論文の場合、自分の想像や希望的観測や主観的意見を主張するのでなく、比較や対照、例証やたとえ、分類や定義、説明的描写、構造分析、因果分析などによってなるべく客観的に「それ」の姿を明らかにします。「なぜ」という問に答える論証論文には、三段論法的展開が必要になります。(p.74-77)

・わが国では適当な訳語もなく、またあまり重要視されていないけれども、語り(スピーチ)、もの書き(ライティング)のレトリックにおいて非常に大切なのはパラグラフであります。日本ではパラグラフの構成単位である文章(センテンス)が異常なほど重視されるのに対し、パラグラフ自体はふつう段落と呼ばれ、ひとつの改行箇所と次の改行箇所の区切り位にしか考えられていないので、論文書きの指南書ではほとんど完全に無視されています。しかし、国際的に通用する論文レトリックで文章に優るとも劣らぬ重要性を認められているのだ文段(パラグラフ)です。(p.108)

・何のアウトライン、筋書きもなしに論文を書き出すのは、入社試験の小論文であれ、研究者の大論文であれ、無謀極まりないことです。それは行きあたりばったりに、目的地も知らず、地図も時刻表もなしにふと旅立つのに似ています…アウトラインはいわばガイド・マップであります。目次の卵であります。アウトラインを書き出して見ると、自分の考えていた話が淀みなくつながって発展しているかどうかが、はっきりします。何かが脱けていないか、あるいは同じことの無駄な繰り返しをしていないか、そういうことがわかります。要するに、論文の各部分間のつながり、全体の統一的発展、構造的まとまりをたしかめるためのチェック・システムです…アウトラインは本来、書き出す前に作っておいて、下書きを書きながらの道しるべになるものです。しかし書いてしまってからもう一度、実際のしごとが計画通りになっているかどうかを検証するためにもアウトラインが役立ちます。アウトラインは、自分のために役立つだけではありません。大論文はもちろん、中論文でも小論文でも論文の冒頭に目次としてつけることによって、読者の便にも供されます。予め目次・アウトラインを見れば、大筋がわかって、読者はスムースに論文を読み通せます。そのアウトラインはどうして作ったらよいか。自分が今書く論文はどういう問に答えようとしているか、その問の姿が解ったらアウトラインの大枠ができたといえましょう。答の形はまだ解っていなくても答の方法の大筋は解っています。つまり主な問、それに関連した問、主問と副問が織りなす網の目が目次のアウトラインになります。ただし、資料を集めては考え、考えては集めているうちに、山頂アタックの予定ルートに多少の変更がでてくることもあります。だからアウトラインは成長していくものです…第一次アウトライン、第二次アウトラインというふうに修正されながら成長して行きます。修正とは、余計だと思われるものの削除、流れをよくするための配置換え、不足弱体と思われるところの補強のことです。(p.127-129)

・要するにひとつの文で「何をいいたいのか」、「主語が何で述語が何か」それがはっきりしていて、文章中のすべての単語や句、節がそこにつながっていれば文章は明快でやさしく、そうでなければ晦渋で不可解になります。(p.233)

・要するにわかりやすい文章は、明確な論理的構造でまとまり、やさしく正確なことばやいいまわしと快よいリズムに支えられて、自然に、淀みなく、そして力強く流れる文章だといえましょう。(p.245)

・注は出典を紹介する場所です…ある主張や解釈の根拠が何であるか、どういう資料や権威に基づいているか、その出典を照会するのが注の大きな機能のひとつです。自分の主張や解釈がでたらめの想像ではなく、たしかなデータ証拠に基づいていることを示すということです…注はお世話になった人へのお礼――英語でいうacknowledgement――を述べる場でもあります。自分の主張や解釈はこういう方の研究を参考にして生まれたということを記すことによって、そのしごとを利用させてもらった他人への感謝の念を表す場、それが注です。この意味で注をつけるのは研究者のエチケットでもあります…他人の論文の全部または一部をそのまま無断で引用したことが発覚すると、それは盗作ということになり、当人の引責・辞職問題にまで発展しかねないので、普通の人は盗作は遠慮します…注は証拠だてや感謝の場だけでなく、さらに読者への情報提供の場でもあります。必要最低限の情報は主として本文で提供するが、それを補足する情報、本文に入れると場所をとり過ぎたり、読みの流れを滞らせたりするが本文の理解に役立つ情報、読者がさらに詳しく調べたいときに役立つ情報、そのような情報を提供する場が注であります。(p.247-249)