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Mike's Blog

これまで読んできた本を引用を含めて紹介します。 Introducing books I have read including citation http://www.arsvi.com/w/km18.htm

酒井邦嘉『科学者という仕事――独創性はどのように生まれるか』を読んで

 

科学者という仕事―独創性はどのように生まれるか (中公新書 (1843))
 

 科学者になりたい人の必読書。以下に重要と思われる箇所を引用します。

・研究者は、人のやらないことをやり、人の考えないことを考える、ということを目標とするかなり特殊な仕事である。(p.11)

・多くの人は、科学は正しい事実だけを積み上げてできていると思うかもしれないが、それは真実ではない。実際の科学は、事実の足りないところを「科学的仮説」で補いながら作り上げた構造物である。科学が未熟なために、本来必要となるべき鉄骨が欠けているかもしれないのだ。新しい発見による革命的な一揺れが来たら、いつ倒壊してもおかしくない位である。だから、「科学が何であるか」を知るには、逆に「何が科学でないか」を理解することも大切だ。(p.22)

・科学的な仮説に対しては、それが正しいかどうかをまず疑ってみることが、科学的な思考の第一歩である。仮説を鵜呑みにしたのでは、科学は始まらない。(p.25)

・一般向けの科学についての本を手に取ったら、どの程度科学的な良心に従って書かれているかを見抜く眼力が必要である。科学的な厳密さに対する感覚は、どのような証拠があるのか、どうして別の説ではいけないのか、と仮説と意見を見分けるべく批判的に考えることによってのみ磨かれる。科学が分かるには、そのような思考の積み重ねが大切なのだ。(p.27)

・人間のいないところに発見も何もない。研究者の間では、「何が発見されたか」と同じ位、「誰がそれを発見したか」ということがいつも話題になる。研究は極めて人間くさいものなのである。(p.32)

・研究者をめざす多くの人は、「何を研究するか」(what)が一番大切だと思うかもしれないが、その前に「どのように研究するか」(how)という問題意識の方がより重要だと私は考える。科学的な発想や思考、問題を見つけるセンスから始まって、理論的な手法や実験的な手技に見られる基本的な勘所は、すべての分野に共通している。その意味で、「どのように研究するか」という考え方や方法論をしっかり身につけておけば、どんな分野の研究でもできることになる。逆に、「何を研究するか」のみを重視すると、ある分野の知識を蓄えたあとで研究分野を変えた時に、一からやり直しになるかのような気がしてしまいがちである。その結果、同じ分野に安住することになり、新しい発想や異分野からの知見を取り入れることに、二の足を踏むことになりかねない。だから、まず、「どのように研究するか」を十分に体得した上で、「何を研究するか」を考えた方が良い。(p.45-46)

・「どのように研究するか」は、言い換えれば模倣の段階である。そして、「何を研究するか」は、創造の段階に対応する。すでに述べたように、この順番が大切だ。「一に模倣、二に創造」である。幅広く科学の知識を吸収し、研究の仕方や考え方を確実に模倣した上で、専門的な分野で創造的な研究に進むことが望ましい。ただし、模倣するにしても、受け身になって情報に触れるだけでは身につかない。自分で吸収しやすいようにかみ砕く必要がある。そのためには、やはり自分なりに考えなくてはならない。(p.46-47)

・研究に限らず、大事業の成功に必要な三要素として、日本では昔から「運・鈍・根」ということが言われている…「運」とは、幸運(チャンス)のことであり、最後の神頼みでもある。…あらゆる知恵を動員することで、逆に人の力の及ばない運の部分も見えてくるようになる…次の「鈍」の方は、切れ味が悪くてどこか鈍いということである。最後の「根」は、もちろん根気のことだ。途中で投げ出さず、ねばり強く自分の納得がいくまで一つのことを続けていくことも、研究者にとって大切な才能である。(p.58)

・「勘」とは、科学的思考のセンスであり、エレガントな解決法を見つけ出す嗅覚とも言うべき直感や「ひらめき」である。経験に裏打ちされた、いわば「刑事の勘」によって難問を解決することは、研究の最大の醍醐味でもある。この勘は実際に研究を体験しながら現場で会得するしかないし、現場にいなければ勘がすぐに鈍ってしまう。もちろん、刑事の勘に加えて、張り込みのねばり強さと尾行の集中力も必要である。(p.62)

・研究者になる上で最も大切なことは、「個」に徹することである。科学研究がどんなに大人数のチームワークとなろうとも、この点だけは変わらない。一流の研究者は強烈な「個」を持ち、ひたすら「個」に徹する。研究者にとって「個」に徹するとは、「自分で納得するまで考える」ということに尽きる。それは、研究が他人本位では決して成り立たない仕事だからである。「個」に徹することで、科学に最も大切な「独創性」が生まれる。新しいアイディア、過去のアイディア同士を結びつける新しい組み合わせ、実験データの新たな解釈。研究者にとっては、こうした発想の独創性が命である。独創性が重視される科学の世界では、二番煎じは通用しない。それまで報告されたことのない独自のアイディアや成果が必要とされるのだ。(p.76-77)

・研究者に必要な能力の基本は、「知力・体力・精神力」である。「知力」とは、基礎学力・観察力・分析力・論理的思考力などの総体であり、研究発表に必要な語学力も含まれる。また、根をつめて研究に没頭するためには「体力」も必要であり、時には徹夜の実験や思考が続くこともある。そして、失敗の連続であったとしても途中でめげないような、強靭な「精神力」も要求される。(p.89)

・…科学研究はあくまで人が分かるものでなくてはならない。思弁に走りすぎて他の人がその研究の真偽を確かめられないようではいけないのだ。(p.104)

・…科学的な理論には実験的な裏づけが必要であり、実験で得られた現象には理論的な説明が必要となる。また、基礎的な発見は応用技術によって実用性の道が開かれ、応用技術のさらなる発展には基礎的研究が必要となる。このように、研究では両者の相互作用の意味と深さが決定的である。つまり「よく観察して確かめる」ためには、「理論と実験」や「基礎と応用」のバランス感覚が大切なのだ。理論を無視してひたすら観察しても、見えてくるものには限界がある。また、基礎を重視するあまり応用をためらっていては、仮説を確かめることにおくれをとる。(p.129)

・科学者は、現象をくり返し観察して自分の考えが正しいかどうかを確かめることが必要だ。この作業を通して、単なる思いつきを科学的な仮説にまで成長させられる。こうして、不思議な現象を説明できる新しい仮説が生まれる。(p.129)

・研究者にとって特に大切なのは、「考えること」である。そのためには、考えるための物理的な時間だけでなく、精神的な「飢餓感」が必要となる。これは、現状に安住することを嫌い、常に新しいアイディアを渇望するような「ハングリー精神」でもある。(p.131)

・…底なし沼のような情報量を持つインターネットなどの深みにはまらないことも大切だ。考える前にインターネットで検索するのはやめよう。他人が発信する不確かな情報に流されていては、独自の研究はできない。考えるためには、携帯電話の電源を切り、インターネットの接続を切ることも必要である。(p.132)

・考えるということは、余分なことを考えないということでもある…つまり、本質以外を切り捨てることが大切なのだ。余分な要素を捨てることで見通しがよくなり、新たな創造や発見につながる。切り捨てることによって物事の本質が見えてくるということ。これが研究者のフィロソフィーの一つなのである。(p.134-135)

・科学研究は、研究だけでは完結しない。研究成果を発表することによって、はじめて研究が形になる。そのため、研究発表は科学の最も苛酷な一面を持ちあわせている…研究発表は、小説の執筆や演劇のパフォーマンスと基本的に同じと考えてよい。論文では、たとえ複数の研究者による共著であったとしても、そこには著者の思索の過程がはっきりと反映されるし、口頭発表では、発表者が主役と同時に演出家を務めるようなものである。しかしこれは、自分で好き勝手にやって良い、ということではない。むしろその逆で、表現したいもの(研究発表では研究の成果)を的確に相手に伝えることが目的であることを忘れてはならない。(p.157)

・科学研究の発表では、次の三つのポイントが基本となる。第一に、正しく…第二に、分かりやすく…第三に、短く…しかし、短さのために分かりやすさを犠牲にしてはいけない。これら三つのポイントは、読者や聴衆の立場に立って「他人本位」で発表を行うことに他ならない。もちろん、発表者が発表の内容を正確に理解していることは大前提である。(p.159-160)

・研究者の仕事とは「まだ分かっていないことを人に分かるようにすること」である。これに対し、教育者の仕事は「すでに分かっていることを人に分かるようにすること」である。大学の教員は、この両方の仕事に関わっている。(p.222-223)