Mike's Blog

これまで読んできた本を引用を含めて紹介します。 Introducing books I have read including citation http://www.arsvi.com/w/km18.htm

デスーザ,スティーブン・レナー,ダイアナ『「無知」の技法』を読んで

 

「無知」の技法 Not Knowing

「無知」の技法 Not Knowing

 

 様々なエピソードを通じて、変化の激しい時代に生き残るためのヒントを与えてくれる一冊。以下に印象に残った箇所を引用します。

・…私たち自身の脳も、知識があること、確信できることを望む…人間の脳が最適な機能を果たすためには確信が必要なのだ…人間の脳は常に答えを求めている…知識がはらむ問題とは、それが便利であるという、まさにその事実に潜んでいる。知識が足枷になりかねない場面でも、私たちは知識にしがみつく――そして、新たな学びと成長を阻まれるという、パラドックスに陥っている。(p.22-23)

ヴェサリウスはなぜ、人体を正しく認識できたのか。理由はただひとつ。自分の目で見て、考えたからだ。(p.28)

・深い知識と専門的研究への注力があるからこそ、専門家になれる。専門領域に貢献することができる。だが、逆に、深い知識と専門的研究への注力があるからこそ、視界が狭くなことがある。専門性を評価されている人間は、往々にして、その領域の外をしっかり見ようとしない。そうしようというインセンティブがない。また、専門性が高くなればなるほど、視界が狭くなる場合もある。「知っていること」に焦点を置くあまり、知っていることを疑ったり、知らないと認めたりすることができなくなるのだ。(p.33)

・知識の専門化には利点がある。だが、そこにはリスクもある。能力が高くなればなるほど、私たちは「知の呪縛」に陥りやすくなるのだ。知の呪縛とは、知識が増えることにより、その専門領域をシンプルに思考・説明できなくなる状態をいう…専門知識は、複雑な問題に対する斬新なアイデアも阻害する...特定のトピックに詳しくなればなるほど、その問題を誰もが理解するようなニュートラルな形で切り取ることが難しくなる。その問題の定義の中に、自分の見解が組み込まれてしまうからだ。知識や専門性は私たちの視野に境界線をつくり、その先にあるかもしれない解決策の探索を阻む。そして私たちは既成概念にとらわれない水平思考ができなくなる。(p.34-35)

人間である我々はあまり賢くない。物事が起きるのを前もって予見はできない(p.48-49)

・私たちは周囲からのプレッシャーを敏感に察知して、自分の力不足や無能ぶりを隠そうとする。たとえ答えを知らないときでも知っているふりをしたがる―—あるいは反対に、ほかの人は知っていると信じたがる。専門家を探し、すべてを知っていると思いこむ。証拠が正反対を示しているときでさえ、他人の確信を疑って自分で判断するよりも、偽りの確信に依存するほうを選ぶのだ。(p.50)

・リーダーがすべての知をふりかざそうとすると、周囲は疲弊する。不安をかきたてられ、意欲もくじける。知っている人の知識と専門性に依存して、自分の学びと成長にブレーキをかける。(p.58)

・自分が確信をもてないとき、つまり自分の中に不確実性を見るときほど、人は責任者への依存傾向を強める。(p.66)

・何らかのジレンマや難問、直面したことのないシチュエーションにぶつかると、人は選択肢が見えなくなる。そして自分の知識の欠落部分を覆い隠したくなる。知識があるとうそぶくか、あるいは既存の知識にしがみつくか、どちらかに走るのだ…たいていは欠落部分がばれて、余計に困った立場に立たされるのである。(p.72)

・権威に対して服従していれば、知らないという不安や苦しみを感じなくてすむ。だが、盲目的に服従することは、正しい判断をする力も、本当の能力を発揮する力も奪う。(p.74)

世界がかくも急速に変化しているのだから、私たちの知っていること、知っていると思っていることは、どんどん無価値・不正確になっていく一方なのだ…知識が広がれば広がるほど、自分が知れば知るほど、知らないことは少なくなると私たちは考える。確かに理屈としてはそうだ。問題はこの発想が、「知りうること」という宇宙の広さが固定だ、という想定に基づいている点にある。(p.80)

ひとつだけ確かなことは「何をすべきか、我々はわかっていない」という点である、と。(p.82)

「既知の既知というものがある。我々が知っていることを我々が知っている物事だ。一方、既知の未知というものがる。我々が知らないということを我々が知っている物事のことだ。だが、それ以外にも、未知の未知というものがある。我々が知らないことを我々が知らない物事だ」(p.84)

私たちが未知を恐れる理由のひとつは、自分自身と向き合わざるを得なくなり、自分の弱さ、不完全さをつきつけられるからだ...人は、知らないという内面的体験と、有能という印象を維持したい外面的問題とのあいだで、葛藤を感じる。(p.108-109)

・…逆説的なようだが、たいていは知らないからこそ学びと新しい知識に結びつく…知らないということが見えない成長を促す。簡単に目に見えないと、何も起きていない、と私たちは思いたがる。だが変容は闇の中で起きる…「わからない」と認めるからこそ、ものを学べるのだ。知らないという闇は、新たな光を呼びこむ自由と余白とを差し出している。(p.132)

知らないという姿勢で対峙せよというのは、すでに知っていることをすべて捨てろという意味ではない。既存の知識に縛られない余白へ踏み込むという意味だ。知らないという姿勢で臨むことによって、私たち先行きのわからない状況と向き合い、答えがない複雑な問題に取り組む…複雑さ、曖昧さ、矛盾、不確実とともに生き、ともに歩む。既知と未知との境界線に立たされたときに直面する、「確信がない」という不安な状態に耐えるのである。そのためには、「知らない」を「ない」でとらえるのをやめ、そこには機会と可能性が「ある」ととらえなければならない。(p.134)

未知の領域に乗り出すときは、その過程の小さな成功や目標到達を喜ぶことが大切だ…(p.148)

未知の世界でビジネスをしていくなら、過去の経験だけに頼って状況を「把握する」のではなく、目の前に広がるものを「察知する」能力を重視すべきなのだ。(p.158)

「決定権と目的意識と責任を与えれば人は本来もっている真のモチベーションを発揮する」(p.174)

・ものを知らないと認める行為はリスクをはらむ。だが同時に、周囲との絆の意識を育てるものでもある。弱みをさらし、謙虚になることで、ともに働く者同士の距離を縮めるのだ。そうすれば力を合わせて問題を解決に臨むことができる。(p.191)

真に優れた学者、真に優れたリーダーならば、既存の知識を「疑う」という行為を楽しむ。(p.194)

・「見えない世界に踏み込むとき、一番してはいけないのは、コントロールできないものをコントロールしたがるエゴにしがみつくことなんです」(p.209)

予想外の展開でいつものやり方が通用しなくなったときや、物事がつまずいたとき、大慌てでその「すきま」を埋めようとするのではなく、ただスローダウンして、沈黙し、動きをとめて待つ。(p.216)

・混乱しているとき、先行きが見えないときほど、つかんだ答えにしがみつきたくなる。だが、それでも問いかけをやめずに続ければ、忍耐力がつき、未知と向き合う力が育つのだ。(p.233)

即興は構造を心得たうえで始めるものなのだ。(p.240)

以前の知識や昔の事件に縛られない。あらゆる細部から学び、先入観にとらわれずに事実を吟味する。(p.244)

多様性や差異を内包する仕事環境は、イノベーションと創造性の基盤となる。(p.251)

必要なのは踏み出すことなんです。(p.255) 

失敗は学ぶための機会だと考えればいい…何が重要かを気づくために、私たちはときに失敗する必要があるのだ。(p.276-277)

・遊んでみよう、観察してみようという気持ちがあれば、世界は本当にたくさんのものを見せてくれます。(p.300)