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Mike's Blog

これまで読んできた本を引用を含めて紹介します。 Introducing books I have read including citation http://www.arsvi.com/w/km18.htm

外山滋比古『思考の整理学』を読んで

 

思考の整理学 (ちくま文庫)

思考の整理学 (ちくま文庫)

 

思考のエッセンスが満載の一冊。以下に重要と思われる箇所を引用します。

・ものを考えるのに、時間を選ぶことはないと思っている人がすくなくないけれども、ものを食べたあとがよろしくないのははっきりしている。体の疲れたときも適当ではない。だとすると、寝て疲れをとったあと、腹になにも入っていない、朝のうちが最高の時間であることは容易に理解される。いかにして、朝食前の時間を長くするか。(p.27)

・ものを考え、新しい思考を生み出す第一の条件は、あくまで独創である。自分の頭で考え出した、他の追随を許さない(とすくなくとも本人の自負する)着想が必要である。ただ、それを振りまわしていては説得力はない。せっかくのアイディアも悪いドグマに見える。(p.45)

・同じ問題について、AからDまでの説があるとする。自分が新しくX説を得たとして、これだけを尊しとして、他をすべてなで切りにしてしまっては、蛮勇に堕しやすい。Xにもっとも近いBだけを肯定しようとするのも、なお我田引水のうらみなしとしない。AからDまでとXをすべて認めて、これを調和折衷させる。こうしてできるのがカクテルもどきではない、本当のカクテル論文である。すぐれた学術論文の多くは、これである。人を酔わせながら、独断におちいらない手堅さをもっている。(p.46-47)

・編集者は自分では原稿を書かない。書いてもよいが、編集者は書けるかどうかで評価されるのではない。他人の書いたものをいかにまとめるか、また、そのために、だれに何を書かせるか、ということの創造性に命をかける。(p.50)

・“知のエディターシップ”、言いかえると、頭の中のカクテルを作るには、自分自身がどれくらい独創的であるかはさして問題ではない。もっている知識をいかなる組み合わせで、どういう順序に並べるかが緊要事となるのである。(p.51)

・次はある有名な詩人学者が洩らした創造の方法である。なにか考える。創り出そうとする。そして頭に浮かんでくることを片端から、ひとつひとつカードに書きとって行く。カードがたくさんできたら、これをカルタとりのように並べる。そしておもしろそうな順にとって行く。こうして順序ができる。それを見直す。おもしろくないようだったら、また、カルタ取りをしなおす。気に入る順列ができるまで何回でもこれをくりかえす。いよいよ、これでよしとなったら、カードを綴じ合わせる。あるいは、その順序にノリで大きな台紙に貼ってしまう。これが、着想のエディターシップである。人を酔わせる力をもった、おもしろいと思われる表現はこうして生れる、というのである。(p.52-53)

・新しいことを考えるのに、すべて自分の頭から絞り出せると思ってはならない。無から有を生ずるような思考などめったにおこるものではない。すでに存在するものを結びつけることによって、新しいものが生れる…さまざまな知識や経験や感情がすでに存在する。そこへひとりの人間の個性が入って行く。すると、知識と知識、あるいは、感情と感情とが結合して、新しい知識、新しい感情を生み出す。(p.56-57)

・寝させておく、忘れる時間をつくる、というのも、主観や個性を抑えて、頭の中で自由な化合がおこる状態を準備することにほかならない。(p.59)

・スクラップも時がたつとまったく不用なものが出てくる。なんでもすべてとって置くのがいいのではない。あまりたくさんたまると全体の利用価値がさがってしまう。慎重に、ときどきは、整理、つまり、廃棄にまわすものをつくらなくてはならない。(p.84)

・勉強し、知識を習得する一方で、不要になったものを、処分し、整理する必要がある。何が大切で、何がそうでないか。これがわからないと、古新聞一枚だって、整理できないが、いちいちそれを考えているひまはない…頭をよく働かせるには、この“忘れる”ことが、きわめて大切である。頭を高能率の工場にするためにも、どうしてもたえず忘れて行く必要がある。(p.115)

・思考の整理とは、いかにうまく忘れるか、である。(p.127)