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Mike's Blog

これまで読んできた本を引用を含めて紹介します。 Introducing books I have read including citation http://www.arsvi.com/w/km18.htm

アドラー,J・モーティマー・ドーレン,V・チャールズ『本を読む本』を読んで

 

本を読む本 (講談社学術文庫)

本を読む本 (講談社学術文庫)

 

 本を読むとはどういうことなのかについて教えてくれる一冊。以下に重要と思われる箇所を引用します。

・「読む」という行為には、いついかなる場合でも、ある程度、積極性が必要である。(p.16)

・読書が成功するかどうかは、書き手が伝えようとしていることを、読み手がどこまで理解できるかにかかっている。本を読み終えたとき、著者が述べていることがすっかり理解できているかどうかが問題である…内容が十分に深く理解できたとき、はじめて著者と読者の精神は出会ったと言える。(p.18-19)

・自分の理解を越えた本を読むときこそ、読み手はいっさい外からの助けに頼らず、書かれた文字だけを手がかりに、その本に取り組まねばならない。読み手が積極的に本にはたらきかけて「浅い理解からより深い理解へ」と、読み手自身を引き上げていくのである…高度の読者を相手に書かれた難解な本こそ、このような積極的な読みかたが必要であり、また、そのような読みかたに値する。(p.19)

・...本が相手となると...読み手自身が問いに答えなくてはならない。その意味では本というものは自然や下界に似ている。本に向かっていくら問いかけてみても、読み手が考え、分析した限りでしか、答えは返ってこないのである。(p.25)

・まず、読書には四つのレベルがある…最初のレベルは、「初級読書」である…初級読書は読み書きのまったくできない子供が初歩の読み書きの技術を習得するためのものである…このレベル問題は「その文は何を述べているか」ということである…読書の第二レベルは、「点検読書」である。時間に重点をおくことが、第二レベルの特徴である。読み手は、一定の時間内に割り当てられた分量を読むことを要求される…点検読書の目的は、与えられた時間内にできるだけ内容をしっかり把握することにあると言えよう。しかも、たいていその時間はかなり短くて、内容を完全に読み取る余裕はないのがふつうである…点検読書とは、「系統立てて拾い読みする」技術である。書物の表面を点検し、その限りでわかるすべてを学ぶことである…「その文は何を述べているか」という第一レベルの問いに対し、第二レベルの問題は、「その本は何について書いたものであるか」ということである。具体的には、「この本はどのように構成されているか」、「どのような部分に分けられるか」という問題を検討することである。さらにもう一つ。「それはどういう種類の本か、――小説か、歴史か、科学論文か」という問題もある。どんなに短時間の点検読書であっても、第二レベルの読者はこの問いに答えられなくてはならない… 読書の第三レベルは「分析読書」である…分析読書とは徹底的に読むことである…分析読書では、読み手は本の内容に関し、系統立てていくつもの質問をしなくてはならない…分析読書とは、取り組んだ本を完全に自分の血肉と化するまで徹底的に読み抜くことである…分析的に読むとは、本をよくかんで消化することである。…/最後のもっとも高度の読書レベルは、「シントピカル読書」である… シントピカル読書は比較読書法と呼ぶこともできよう。シントピカルに読むということは、一冊だけではなく、一つの主題について何冊もの本を相互に関連づけて読むことである。だが、単に各テキストを比較するだけでは、シントピカル読書として十分とは言えない。熟達した読者は、読んだ本を手がかりにして、「それらの本にはっきりとは書かれていない」主題を、自分で発見し、分析することもできるようになるはずである。(p.26-31)

・わずかな時間内に本の品定めをしてしまう必要がある。こういうときにしなければならないのが、下読みである…これが点検読書の第一の段階で、その目的は、いま手にしている本をさらに入念に読む必要があるかどうか調べることである…こうして拾い読みをすれば、それがどんな本かということや、著者の主張していることがおおよそつかめるから、時間の無駄にはならない…
一、表題や序文を見ること。…
二、本の構造を知るために目次を調べる。…
三、索引を調べる。…
四、カバーに書いてあるうたい文句を読む。…
五、その本の議論のかなめと思われるいくつかの章をよく見ること。…
六、ところどころ拾い読みをしてみる。…
こうして読めば、時間は驚くほど節約できるし、理解も深くなる。(p.40-44)

・難解な本にはじめて取り組むときは、とにかく読み通すことだけを心がける。すぐには理解できない箇所があっても、考えこんだり語句調べに手間取ったりしていないで先へ進むのである。理解できることだけを心にとめ難解な部分はとばして、どんどん読みつづける。脚注、注解、引用文献もここでは参照しない。いまそういうことにこだわっても、どうせわかりはしないのだから、こういう「つまずきのもと」はなるべく避けて、とにかく通読することだ。最初の通読で半分しかわからなくても、再読すれば、ずっとよくわかるようになるに違いない。(p.45)

・…したがって理想はただ早く読めるようになるだけでなく、さまざまな速度の読みかたができること、また場合に応じて違った速度で読めることである…難解な本にも読みとばした方がよい部分がある。またよい本には必ず難解な箇所があるから、そこはごくゆっくりと読むべきである。(p.48)

・「読んでいるあいだに質問をすること。その質問には、さらに読書をつづけているあいだに、自分自身で回答するよう努力すること」。(p.53)

・どんな本を読む場合でも、読者がしなくてはならない質問は、次の四つである。
一、全体として何に関する本か…
二、何がどのように詳しく述べられているか…
三、その本は全体として真実か、あるいはどの部分が真実か…
四、それにはどんな意義があるのか。(p.53-54)

・良い本は読者にとって難解である。むずかしいくらいの本でなくては、読者にとって良い本とは言えない。そういう本に向かって読者は背伸びをし、自分をそこまで引き上げなくてはならない。(p.56)

・本が本当に読者のものになるのは読者がその内容を消化して自分の血肉としたときである。自分の血肉とする最良の方法――それが行間に書くことなのだ。書きこみをすることが読者にとって欠かせないのはなぜか。第一に、目覚めていられるから。単に知覚があるというのではなく、頭をはっきりさせておけるからである。第二に、積極的読書とは考えることであり、考えたことは言語で表現されるものだ。自分の考えていることがわかっていると言いながら、それを表現できない人は、自分の考えていることが本当にわかっていないのがふつうである。第三に、自分の反応を書きとめておくことは著者の言っていることを思い出すのに役立つ。読書は著者と読者の対話でなければならない…本に書き入れをすることは、とりもなおさず、読者が著者と意見を異にするか同じくするかの表現なのである。これは、読者が著者に対してはらう最高の敬意である。(p.57-58)

・「その本全体の統一を、二、三行か、せいぜい数行の文にあらわしてみること」これが分析的読書の第二の規則である。これは、その本が全体としてどんな本か、できるだけ手みじかに述べてみるということである…ここでどんな本かと言っているのは、著者の意図、著者が何を言おうとしているか、ということである。これがわかれば、その本の主題、あるいは目的を発見したことになる。(p.88)

・「その本の主な部分を述べ、それらの部分がどのように順序よく統一性をもって配列されて全体を構成しているかを示すこと」これが第三の規則である。(p.88)

・「著者の問題としている点は何であるかを知る」これが第四の規則である。著者というものは一つないし一連の問題から出発するものだ。本に書かれているのはその答えである。著者は苦労して生み出した答えを読者に教えてはくれるが、質問までは教えてくれないかもしれない。教えてくれなければなおさら、その質問をできるだけ正確に作ってみるのが読者の仕事である。その本が答えようとしている質問は何かがわからなくてはいけない。主要な質問が複合的でたくさんの部分に分かれていたら、その枝葉にあたる小さな質問まで書いてみる必要がある。それらの質問をすべて正しく把握するだけでなく、それをわかりやすく整理することができなくてはならない。(p.105)

・使われる単語の意味があいまいだと、話し手と聞き手、あるいは書き手と読み手が共有するのはただの単語にすぎず、意味を共有しているとは言えない。完全なコミュニケーションを成立させるには、両者が同じ単語を「同じ意味で」使わねばならない。書き手が単語によってあらわしている意味を読み手が正しく了解してはじめて、書き手と読み手は一つの思想を共有する。二つの精神が思想を通して出会うという奇蹟が起こる…したがって、分析読書の第五規則は、「重要な単語を見つけ出し、それを手がかりにして著者と折り合いをつけること」である。これには二つの手順があることに注意してほしい。まず重要な単語を見つけ出すこと、次に使われている意味を正確につかむことである。(p.110-111)

・...キー・ワードを見つけ出すには、まずパラグラフ全体を理解することが必要である…パラグラフが完全に理解できないのは、意味のわからない単語があるからで…したがって、読み手から言えばもっとも重要な言葉は、「意味のつかみにくい言葉」であり、それはまた、たいてい著者にとっても重要な言葉である。(p.114-115)

・ここで、もう一度、解釈の三つのきまりを確認しておこう。第一は、「重要な言葉を見つけ、著者と折り合いをつけること」、第二に、「もっとも重要な文に注目して、そこに含まれる命題を見つけること」、第三に、「一連の文から基本的な論証を見つけ、これを組み立てること」である。(p.132)

・…「著者が伝達すべきもっとも重要なことは、あることがらについての著者自身の判断(肯定ないし否定)の表明と、その理由である」。読者がこれをはっきりつかむには、主要な文を一段と明確にとらえなくてはならない。(p.133)

・「自分の言葉で言いかえてみる」、文中の命題が理解できたかどうかを判断するには、これが一番良い方法である…同じことをまったく別の表現で伝えるのが理想だが、ともかく、著者の言葉から離れることができなければ、読者に伝達されたのは「ただの言葉」にすぎず、「思想や知識」までは伝わってはいない。それでは、著者の精神をつかんだことにはならない。(p.136)

・もう一つ、命題が理解できたかどうかを試すテストがある。一般的真理を具体的な経験に即して、あるいは、あり得る場合を想定して、例証することができるだろうか。体験や想像によって命題を例証することができなければ、著者の述べていることは理解できていないと考えなくてはならない。(p.137)

・「まず重要な論証を述べているパラグラフを見つけること、そのようなパラグラフが見つからないときは、あちこちのパラグラフから文を取り出し、論証を構成する命題が含まれている一連の文を集めて、論証を組み立てることである」(p.139)

・ここで、解釈の第三規則を実行するのに役立ちそうなことを二、三述べよう。第一に、どの論証にもいくつかの斜述が含まれていることに注意しなくてはならない。その中には、著者の示す結論を、なぜ受け入れなければならないか、その理由を述べたものもある。したがって、最初に結論が見つかれば、その理由をさがし、理由が先に見つかれば、そこから導かれる結論を検討することである。第二に、論証には二つの方法があるが、これを区別することである。論証には、事実によって、一般化を証明する方法と、一連の一般的斜述によって一般的法則を発見する方法がある。これらは帰納法演繹法と呼ばれるものだが、名称はともかく、重要なのはこの二つを区別することである。第三に、著者が「仮定」しなければならないのは何であるか、論証や証拠によって「立証できるもの」は何か、論証を必要としない自明のことがらは何であるか、ということをしっかり見定めることである。(p.141)

・良い本は積極的読書に値する。だが、内容が理解できただけでは、積極的読書として十分とは言えない。「批評の務めを果たして、つまり判断を下してはじめて、積極的読書は完了する」。(p.145-146)

・「いかなる判断にも、必ずその根拠を示し、知識と単なる個人的な意見の区別を明らかにすること」(p.158)

・著者に向かって、「あなたの言うことはわかったが、賛成できない」と言う場合、読者の言い分には四つある。(一)知識が不足している。(二)知識に誤りがある。(三)論理性に欠け、論証に説得力がない。(四)分析が不完全である…いずれの場合にせよ、どういう点で著者が知識不足であるのか、知識に誤りがあるのか、非論理的であるのかを明確に指摘し、さらに、その理由を述べ反論を立証しなくてはならない …(一)著者の知識が不足しているということは、著者が解決しようとしている問題に必要な関連知識が十分ではないということである。著者に欠けている知識とは何か、それが本当に関連知識と言えるものであり、また結論にどのように影響するものなのかを明らかにしなければならない…(二)知識に誤りがあるということは、事実に反することを主張しているということである…この種の欠点は、著者の結論にかかわる場合に限って指摘すれば、十分である…(三)論理性に欠けるということは、推論に誤りがあるということである。ふつう、誤りには二種類ある。一つは「不合理な推論」で、結論が、仮定された論拠にまったくもとづいていない場合である。もう一つは、「推論における矛盾」で、著者が言おうとする二つのことがあい容れない場合である。どちらの場合も、読者は著者の議論がどの点で説得力を欠いているか、正確に指摘しなくてはならない。この欠点も、主要な結論に影響をもつ場合に限って指摘すれば、十分である… 著者の関連知識が不足しているか、誤っているか、論理性に欠けるか、のどれかが立証できない限り、読者には反論する資格はない…(四)分析が不完全である、ということは、著者が、最初に提示した問題をすべて解決していないとか、資料をあまさず活用していないとか、あるいは、論証に関連した特徴的な記述がみられない、ということである。ある本が不完全である、というだけでは十分とは言えない。どういう点で不完全であるかを、読者自身で、あるいは、他の本の助けを借りて、明確に指摘できなければ意味がない。(p.165-170)

・これからシントピカル読書の本論に入るわけだが、ここには、五つの段階がある。
第一段階 関連箇所を見つけること。
…主題に関連のある作品をすべて再点検し、読者自身の要求にもっとも密接なかかわりをもつ箇所を見つけ出すことである…
第二段階 著者に折り合いをつけさせる。
…読者が相手にしなくてはならない多数の著者が、全部、同じ言葉を同じ意味で使っているとは考えられない。したがって、読者が用語をしっかりきめ、言葉の使いかたについて、著者に折り合いをつけさせなくてはならない…具体的に言えば「著者に、読者の言葉で語らせる」ということである…
第三段階 質問を明確にすること。
…読者自身が用語の使い方をきめるのであるから、命題もまた、読者自身がたてなくてはならないのである。一番良い方法は、問題に解決を与えてくれそうな一連の質問を作り、その質問にそれぞれの著者から答えてもらうことである…
第四段階 論点を定めること。
質問が明確であり、それに対する著者の答えがあい対立していることがはっきりしたら、論点が生じたことになる。著者のあい対立する答えが二つの場合には、論点は比較的単純である。だが、三つ以上の答えが返ってくる場合には、対立意見を整理し、著者を、それぞれの意見によって分類しなければならない…
第五段階 主題についての論考を分析すること。
シントピカル読書の第五段階では、論考についてその質問を試みるのである。すなわち、「それは真実か」、「それにはどんな意義があるか」を問うのである。(p.227-232)