Mike's Blog

これまで読んできた本を引用を含めて紹介します。 Introducing books I have read including citation http://www.arsvi.com/w/km18.htm

猪木武徳『大学の反省』を読んで

 

大学の反省 (日本の〈現代〉11)

大学の反省 (日本の〈現代〉11)

 

大学に興味をお持ちの方におすすめの一冊。以下に重要と思われる箇所を引用します。

・本書で強調したかったことは次の三点に要約することができる。第一に、現代の日本の大学(とくに研究大学)は、専門職の教育、そして研究活動に多大なエネルギーを注いでいる。教養教育は単なる装飾品同然の状態になってしまった。大学における本格的な教養教育の復活と「教師」という職業の尊重こそ、著者の本書での最大の強調点である。第二に、日本の教育への公財政は、とても教育大国、文化国家と言えるような規模ではない。日本で高等教育の重要な一翼を担ってきた良質な私学への財政的な支援を強め、公財政の教育への支出を増やすこと。そして第三に、教育研究は長期的視点が必要な活動であるから、研究組織や教育の内容や成果の評価を短期的な要求や都合で変えないことが重要だということである。(p.4)
・…米国の大学では、古くからスポーツ興行などが大学の重要な収入源であった…強いフットボールチームを持ち、人気をあげることによって高額かつ安定的な興業収入をもたらすことが、いかに大学にとって重要なのかがわかる。(p.35)
・海外の名門大学で財政問題に苦しんでいないところは皆無である…高等教育だけでなく教育一般は、その質を維持しようとすれば市場競争だけでは成り立たず、教育研究以外の事業収益か公的財政の強力なバックアップをつねに必要としている…(p.36)
・一九九〇年代半ばから進んだいわゆる「大学院重点化」は大学教員をますます多忙にした…教育よりも研究活動に熱心な教員の多い大学は、学部学生にとって居心地が悪い。先生は研究時間を確保しないと競争に伍していけない。それゆえ能力の高そうな学生を「見つけ」て、自分の研究に参加させることに関心があっても、学生を「育てる」ことには力を注ごうとしなくなる。学生を「育てる」ことは業績としてとくに評価されないからだ。(p.50)
・教員がマネージメントにかかわる時間を減らす方法のひとつは、大学の「マネージメント」の専門家を育てることであろう。(p.52)
文部科学省や日本の大学は、ここ十数年、さまざまな「改革」を試みてきたが、その中の大きな変化のひとつは、教養教育の位置づけの変化である…各大学において…教養教育を欠いた専門教育が重視されるようになったことであろう…この教養教育の衰退の弊害は大きい。(p.58-59)
・大学の役割のひとつが、知識の獲得を通した国際的な友愛の形成にあるとすれば、国籍を異にする学生が、住居と食事を共にすることの意味は大きい。(p.62)
・「大学のグローバル化とは、何よりも学生がいろんな所に移動しやすくなることだ。地球上の各地から優れた学生をどうやって獲得するかが、大学の競争力となる。学生だけではない。優れた教授を世界各地からどれだけ引きつけられるか。大学の一番の財産は頭脳だ。学生の頭脳であり研究者、教授の頭脳だ。最も優れた頭脳をどうやって集めるか。最も才能のある教授陣と学生に、未来に関する最も重要な内容にタッチさせることが、大学の使命であり競争力だ。」(p.226-227)
・実際に日本で学んだ留学生が、その後、日本に対してどのような見方をしているのか、日本にいかなる影響を与えているのか。そうした点を精査せずして、量の拡大だけを強調するのは、留学生政策の当初の目的を満足させることにはならない。(p.229)
・…留学生の多くが帰国するのはなぜか。その最大の理由は、(国際通用力の低い)日本語に堪能になって、仮に苦労して日本で雇用の機会を得たとしても、後々の仕事のキャリアが用意されておらず、将来の見通しが立たないからである。(p.230)
・…具体的な提言を述べてみたい。ひとつは、古典を中心とした「教養教育」カリキュラムを開発し、それを高等学校と大学レベルの教育カリキュラムに組み込むこと、いまひとつは、高等教育への公的予算を増やし、それを優れた私学への助成に支出し、日本の高等教育への公的予算の規模のGDP比を少なくともOECDの平均水準まで増やすこと、そして第三に、文化の伝達者としての「教師」という職務を見直すこと、の三つである。(p.269)