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Mike's Blog

これまで読んできた本を引用を含めて紹介します。 Introducing books I have read including citation http://www.arsvi.com/w/km18.htm

フランクル,ヴィクトール・E『夜と霧 新版』を読んで

 

夜と霧 新版

夜と霧 新版

 

 人生を歩んでいくうえで、たびたび直面する「人間とは何か」について有益な示唆を与えてくれる一冊。以下に心に響いた箇所を引用します。

・たとえば、近く被収容者が移送される、一定数の被収容者が別の収容所に移されるらしい、と聞いたとする…とたんに、すべての人がすべての人を敵に回した抗争が、グループ同士の抗争が始まる。一人ひとりが、自分と自分の親しい者たちが移送されないよう、移送リストから「はずしてくれるよう嘆願する」ことに、ぎりぎりの土壇場まで死にものぐるいになる。だれかが抹殺をまぬがれれば、だれかが身代わりになることははっきりしていた。この際、問題なのは数だけ、移送リストをみたす被収容者の数だけなのだ。(p.3-4)
・収容所暮らしが何年も続き、あちこちたらい回しにされたあげく一ダースもの収容所で過ごしてきた被収容者はおおむね、生存競争のなかで良心を失い、暴力も仲間から物を盗むことも平気になってしまっていた。そういう者だけが命をつなぐことができたのだ。(p.5)
・移送されてきたわたしたちは、みんな多かれ少なかれ恩赦妄想にとらわれていた…なぜなら、今なにが起こっているのか、その意味をまだとらえかねていたからだ。(p.16)
・異常な状況では異常な反応を示すのが正常なのだ。(p.31)
・その最たるものが、家に残してきた家族に会いたいという思いだ。それは身も世もなくなるほど激しく被収容者をさいなんだ。それから嫌悪があった。あらゆる醜悪なものにたいする嫌悪。被収容者をとりまく外見的なものがまず、醜悪な嫌悪の対象だった。(p.33)
・苦しむ人間、病人、瀕死の人間、死者。これらはすべて、数週間を収容所で生きた者には見慣れた光景になってしまい、心が麻痺してしまったのだ。(p.35)
・飢えた者の心のなかで起こっている、魂をすり減らす内面の葛藤や意志の戦い。これは、身をもって体験したことのない人の想像をはるかに超えている。(p.50)
・人間の命や人格の尊厳などどこ吹く風という周囲の雰囲気、人間を意志などもたない、絶滅政策のたんなる対象と見なし、この最終目的に先立って肉体的労働力をとことん利用しつくす搾取政策を適用してくる周囲の雰囲気、こうした雰囲気のなかでは、ついにはみずからの自我までが無価値なものに思えてくるのだ。強制収容所の人間は、みずから抵抗して自尊心をふるいたたせないかぎり、自分はまだ主体性をもった存在なのだということを忘れてしまう。(p.82)
強制収容所に入れられた人間が集団の中に「消え」ようとするのは、周囲の雰囲気に影響されるからだけでなく、さまざまな状況で保身を計ろうとするからだ。(p.83)
・収容所では、個々人の命の価値はとことん貶められた…人間は被収容者番号をもっているかぎりにおいて意味があり、文字通りただの番号なのだった。死んでいるか生きているかは問題ではない。(p.87)
・収容所生活では、決断を迫られることがあった。それも、予告もなくやってきて、すぐさま下さねばならない決断であって、それが生死を分けることもしばしばだった。(p.95)
・…人間はひとりひとり…収容所に入れられた自分がどのような精神的存在になるかについて、なんらかの決断を下せるのだ。典型的な「被収容者」になるか、あるいは収容所にいてもなお人間として踏みとどまり、おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ。(p.111-112)
・生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各々に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。(p.130)