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Mike's Blog

これまで読んできた本を引用を含めて紹介します。 Introducing books I have read including citation http://www.arsvi.com/w/km18.htm

野口悠紀雄『「超」文章法――伝えたいことをどう書くか』を読んで

 

「超」文章法 (中公新書)

「超」文章法 (中公新書)

 

 文章を書くことに関心をお持ちの方におすすめの一冊。以下に重要と思われる箇所を引用します。

・文章を書く作業の出発点は、メッセージの明確化である…論述文の場合には、主張や発見である。(p.10)

・学術的な論文が成功するか否かは、九割以上、適切なメッセージを見出せたかどうかで決まる。うまいメッセージを見出せれば、ほとんど成功だ。(p.11)

・ある命題を「メッセージ」と言えるかどうかは、どのように判断できるか?第一の条件は、「ひとことで言えること」…適切なメッセージが見つかれば、「どうしても書きたい。突き動かされるように書きたい。書きたくてたまらない」と考えるようになる(なお、こうしたメッセージは、必ず「ひとことで言える」)。これが、ある命題がメッセージと言えるための、第二の条件である。(p.12-14)

・文章を書く作業は、見たまま、感じたままを書くことではない。その中から書くに値するものを抽出することだ。見たこと、感じたこと、考えていることの大部分を切り捨て、書くに値するものを抽出する。(p.18)

・…「あって然るべきものがない」と指摘するには、対象に関する深い知識が必要である。だから、プロにしかできない。(p.23)

・…嘘や盗作は、もちろん許されない。専門的な論文では、バイタルな(つまり生死にかかわる)問題である。学術論文の結論が偽造された実験データに基づくものと判明すれば、ただちに学者生命を失う。遺跡偽造の例を引くまでもないことだ。盗作も同じである。(p.23)

・読書とは、受動的に教えてもらうことではない。論文の飾りを見つけるためのものでもない。本の著者は論争の相手である。ただし、対話が成立するためには、こちらが問題意識をもっていることが必要だ。(p.35)

・自分の専門や経験を土台として他の問題を見ることができるかどうか、専門から出発して一般に通用する法則を見出しているかどうか。それが問題である。(p.36-37)

・…そのメッセージは、書くに値するものだろうか?/必要条件は、以下に述べるような意味において、「ためになるか、あるいは面白い」ことだ。つまり、どちらか一方の条件を満たさなければならない…ためになるかどうかは、素材である情報の質の問題だ。情報は、正しく、信頼できるものでなければならない。ためになる情報を得る方法は、取材、研究・調査などである。これは、文章を書く以前に必要とされる作業だ…「面白いかどうか」は、食べ物でいえば、「おいしいかどうか」である。論述文における「面白さ」は、多くの場合、謎解きと発見の面白さだ。つまり、好奇心を呼び起こし、それを満たしてくれることである。(p.41-43)

・論述文では、読者が誰かを明確に意識することが必要だ…まず第一に、「ためになる」かどうかは、読者によって大きく違う…第二に、読者の理解度を想定する必要がある。書き手が当然と思っている前提知識を読者は持ちあわせていないことが、じつに多いのである。口頭の場合、会話でも講演でも、講義でも、相手が誰かはわかる。相手の反応も、目で見ることができる。そして、補足や質問への回答も簡単にできる。こうして、「相手に合わせた内容」を伝達することができる。しかし、文書のほとんどは、一方通行である。メールなら相手の質問に答えることで補足ができるが、印刷物の場合は、そうはゆかない。(p.48)

・論述文の場合も…あまりいろいろなことを盛り込むと、論旨がはっきりしなくなる。明晰な文章を書くには、いかに切り捨てるかが重要なのである。いかに盛り込むかではない。(p.78)

・形式面でまず重要なのは、「長さ」(文字数)である。「何が言えるか」は、与えられた字数に依存する。長さが内容を規定するのであり、内容が長さを決めるのではない。したがって、「どれだけの字数を使うことができるか」をつねに意識している必要がある…
(1)パラグラフ――一五〇字程度。
(2)通常「短文」といわれるもの――一五〇〇字程度。
(3)本格的な論文などの「長文」――一万五〇〇〇字程度。
(4)「本」――一五万字程度。(p.86-87)

・現代は忙しい時代だ。書き出しがつまらないと、読者は逃げてしまう。論述文の場合にも、読者に逃げられない工夫が必要だ。…最初に結論やクライマックスを述べてしまうことだ。(p.101)

・多くの人は、「学術論文では客引きは必要あるまい」と考えるだろう。しかし、事実は逆である。学術論文においてこそ必要なのだ。なぜなら、きわめて多数の論文が発表されているからだ。しかも、読者は多忙な人たちである。彼らに読んでもらうために、「客引き」は不可欠である。/だから、論文には、アブストラクト(要約)が必ずついている。「読むに値するか否か」を簡単に判断してもらうためだ。しかし、アブストラクトといえども、雑誌の該当ページを開かなければ読めない。そこで、雑誌の表紙に示されているタイトルで勝負することになる(学術雑誌は表紙に主要論文の目次をのせるのが普通である)。(p.105)

・終わりが重要な理由は、二つある。第一に、「読むに値する文章かどうか」を判断するのに、最初を見るだけでなく、結論を読む人もいるからだ…論文の読者は忙しい人なので、まず最初と最後だけを見る。つまり、問題と答えだけを見るのである。結論部分に答えが書いてないと、捨てられる。後ろから読まれることも想定しておくのが、謙虚な読者の態度だ。終わりが重要な第二の理由は、読後に残る印象だ。(p.110-111)

・引用とは、簡単にいえば、権威に頼ることである。これも説得力を高めるための技術だ…しばしば、護身術として非常に重要である。つまり、弱者であるあなたは、強者である「引用」に守ってもらうわけだ。これが引用の第二の機能であり、この機能の利用は、権威主義的な学者を相手にするときには、必須といってよい…学術論文においては、以上で述べたのとはまた別の意味で、引用が不可欠と考えられている。それは、論文の内容が思いつきや独り善がりでないことを示すことだ。これが、引用の第三の機能である…新しい理論は、それまで積み重ねられてきた知見の上に築かれる。先行業績を無視した「独創理論」は、単なる独善的ドグマでしかない。したがって、学術論文の場合には、当該論考とそれまでの知見との関係を、引用によって示す必要がある。少なくとも、参考文献を明示しなければならない。それらがなければ、著者はその分野の素人とみなされる。(p.135-137)

・わかりにくい文章の具体的症状はさまざまだが、それらの多くに共通する要素がある。それは、「部分と全体との関係が明瞭でない」ことだ…
(1)一つの文の中で、各部分(節や句、あるいは主語と述語)がどのようにつながっているのかが、明瞭でない。
(2)文と文とがどのようにつながっているのかが、明瞭ではない。
(3)文章のまとまり相互間の関係が明瞭ではない。
目指すべき最終目的は、「文章を任意の箇所(一つの文の途中を含む)で切ったとき、そこまでの記述だけで、そこまでの意味がわかること」である。(p.179-180)


1.形式面でのチェック
(1)タイトルは、内容を適切に表すものにする。
(2)章・節・パラグラフの区切りを適切にし、小見出しを内容を表すものにする。
(3)誤字脱字を根絶する。とくに、名前の誤字に注意。
(4)読点を適切に打つ。
(5)漢字・ひらがな・カタカナの比率を適正化する。
(6)表記と用語を統一する。
2.表現のチェック
(1)削れるだけ削る。
(2)類似表現を避ける。
(3)語尾の単調化を避ける。語尾で逃げない。
(4)曖昧表現の「が」の多用を避ける。
(5)使い古された表現、陳腐な表現、不快感を伴う表現、品位を下げる表現などを避ける。(p.225)

・文章を書く場合に最も大変なのは、「書き始めること」だ。(p.228)